いい言葉なんかいらない

できるだけシンプルに毎日を過ごしたいと常々思っています。

というのは、自分の性格がかなりややこしいということを

うんざりするほど自覚しておりまして、もうそれだけでもしんどい。

しんどいけど、今更サバサバ系にもなれないし、なる気もないですし。

なので、せめて己を取り巻く環境だけでもスッキリサッパリしたいのです。

 

お仕事もそうです。あまり深く考えず、自分の判断で“ヨシ!”と決めたものを出す。

今の私の仕事は別注がメインです。いわゆるクライアントありきで成り立っているものですから、

製作物にあまり自分の思いを強く入れ込むことはしません。

クライアントがなんとなく想像している出来上がりイメージを自分なりに予測して、

そこにできるだけ早く着地できるようにしています。

一人でやっているので、自然に私っぽい色合いやテイストがにじみ出てくるのはこりゃもう

しょうがないことですが、

それでも、製作物と自分との間に一定の距離感を持たせて作業しています。


…という話を、先日仕事先で知り合った方に話したところ

「なんか淡白だしネガティブですよね。もっと自信を持って自分を出していったらいいのに。」

と、言われました。そして、仕事をいただくことの尊さ、クライアントとの

心と心の繋がりについて滔々と語られました。

正直げんなりしました。仕事のスタンスについて聞かれたから答えただけで、

まさかこんな話の持っていきかたをされるとは思ってもみなかったので。

 

あぁ、時間を無駄にした。もったいなかった。と思うのはこういう時です。

 

それは、この人の話を聞いてせっかくの時間を無駄にした、ということはもちろん、

なんで「当たり前」のことをうっかり聞いてしまったのだろう、という後悔です。

まともに育った大人なら仕事をもらえることのありがたなんて知ってるし、

心と心を通わせることの大切さも、それこそ小学校の道徳の時間で教わったよ。

普通の人はそんなこと当たり前すぎて言わないだけです。

それを、なぜ彼はいかにも「ちょっといいこと言ってあげます」的に、わざわざ他人に

気持ちよく語ってしまうんですかね。その人だけではなく、最近SNS上でもよくこういう

「気づき」のような文章を見かけますが、あれって何を伝えたいのか私にはさっぱりわかりません。


私は、よく知らない人の、どこかで聞いた覚えがあるような「いい言葉」なんかいらない。

そんなことより、今自分の周りにいてくれる人の為に、黙っていい仕事がしたいと

しみじみ思う今日この頃なのです。